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2010年9月22日水曜日

司法の無責任

日本の憲法では、司法独立が唄われている。
被告人を裁く為の公明正大さを維持する為と言われているが、果たしてそうだろうか。

ここ最近、政治家、官公庁役人、芸能人の被告の判決が相次いで出ているが。
被告人達は口々に不満を述べ、仕方なく刑を甘んじて受けている。

こういった、状態で服役しても容疑者達は反省はおろか、反対に心の中で反社会的精神が膨らむのでは無いだろうか。
裁判官達も人間である、ミスも犯す、考え方、宗教観など夫々である。

日本にも控訴、上告、再審と言ったシステムがあるが、夫々が違った切り口からの審判であり、裁判官の人為的ミスを正すシステムにはなっていない。

また、判事達の多くは自分たちが社会正義だと大それた間違いを持っている人間が多く、検察よりの判決が多いのは否めない。
被告は判決一つで大きく人生が変わる。裁判官は口で判決を言い渡すだけで、ミスがあろうと非難される事も正される事も無いよう、養護されている。正に公僕の極みではないであろうか。

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